使いきり時々浜省

浜省と使いきりに執着する人間の日々の記録

飼っていた猫が亡くなりました。

私はもう家を出ているので、たまーに元気にしてるかなと思い出すくらいの感じだったのですが、逆に良かったかな。
近くにいたらきっと、つらかった。

彼女が家に来た時、私の家というか家族はものすごくうまくいっていなくて、毎日毎日家にいるのが辛くて、かといって家にいないと両親の喧嘩がエキサイトしてどっちかが刺し殺したりしないだろうか心配になる程で(当時の私は高校生だよ笑)、とにかくそんな時に来てくれた彼女がにゃーと鳴いてくれるだけで荒んだ気持ちがふっと和らいだのを覚えています。

いつだったか、家族にむかってわめき散らす父に向かって彼女が毛を逆立ててニョゴーーー!とかシャー!!とかこれまたものすごい声で威嚇し、虚をつかれたように父が黙りこんだこともありましたっけね。傷ついたような微妙な表情で。

猫らしい猫で、私にはあんまり懐いてない気がしてましたが、初めて猫という存在の不思議さを教えてくれたのは彼女で、次にまた猫を飼う機会があったらきっと彼女と較べてしまうんだろうと思います。

色々書いていたらちょっと悲しくなってきてしまった。

こんな時は浜省「PAIN」ですね‼(え
喪失を歌った曲なんですが、これほんとにライヴバージョンが素晴らしい一曲なので、浜省は「悲しみは雪のように」だけだと思ってる方にぜひ聴いてみて欲しいです。
普段はギター片手に歌う浜省ですが、この曲ではギターを置き、歌い手に徹しております。
出だしの歌詞の美しさ、1番と2番をつなぐ間奏の希望を感じさせるメロディーラインが特に良いです。
YouTubeにあります。CDもあります。是非。

たくさんのありがとうを彼女に。
そしてさようなら。また会おうね。